過去の手帳を断捨離
過去の手帳(つまり思い出、文字編)を断捨離しました。
断捨離な気分が盛り上がっていまして
こういうときは思い切りも良く、勢いもつくので、本能に従って実行しています。
クローゼットの収納棚の奥の方にずっと鎮座していた、過去数年分の手帳と日記。数冊。
これ、ずっと着手したかったものの、けっこう腰が重く、先延ばしにしていました。
もともと捨てることには抵抗がないタイプなので、服とか簡単に手放せたりします。
部屋も周囲に
「ほんまにスッキリしてるな」
「え、引っ越すみたい」
と言われるくらい、まぁまぁなミニマム具合です。
ですが手帳だけは何故か捨てられず。
理由はだいたいわかっていて、
そこには「ああこの期間、楽しかったもんな」
ってやつが詰まっていたからです。
手帳とはいっても書くことは、
スケジュールよりも、メンタル的な内容が大半を占めていまして、
その時嬉しかったこと、出来るようになったこと、気づいたこと、欲しいものや手に入ったもの、アファメーション、などなどです。
他には「いいこと日記」だけを書いた無印のノートもありました。
今見返すと、日常の良いことをかなり細かく、丁寧に見つめて書いていて、「ほー。頑張ってたんだなー」って自分で感心。
作家さんの手帳もありました。
引き寄せ系、自然派な知恵系などなど。こういうものは手帳というより、もはや「本」の役割も兼ねているので余計に捨てにくいですね。
が、今日はやったぞ。
何故なら、読み返さないから。
大事な知恵はきっと今もどこからか入ってきてくれるだろうと信じて。
良いこと日記だって、また丁寧さを思い出して今なりに書いていけば良いのだし。
一冊一冊袋に入れていきました。
本当はゴミに出すのではなく、燃やしたい。
お焚き上げのように葬りたいんですが、マンションなのでそこは諦めました。
そして捨てた後の感想は「なんだ、こんなもんか。」。
やってしまえばなんてことなく、腰が重かった割には、何も失った感覚はない。
保管していたこれらの叡智って、今の自分にはもうさほど重要な叡智ではなかった、ということが分かりました。
月並みですが、頭はスッキリし、身軽な気持ちになりました。私は今ここにいるではないか、という感覚。
人によって、なかなか捨てられない物って違いますが、腰が重い対象のものほど、やった後のスッキリって大きいですよね。
然るべきタイミングで、「スッキリしたいウェーブ」が来たら是非に。
温度高めにおススメです。