政治に対して意見を表す権利、一国民として監視してますよという態度を表せる唯一の機会を大事に使ってきました。
やることやったら、期待せず、今日も今日で幸せに生きてやるぞ、おー。
TVなどの映像の報道(必要以上に感情を煽ります)を見ない。何事も裏をかく(性格悪いので)。自分の生活範囲の事を心地よく整えることにエネルギーを注ぐ。
これらが、一個人のわたしが今自分に言い聞かせていることです。
今日も共に良い一日でありますように。
朝メイクするときに鏡を改めてまじまじと見ていると、頬骨まわりから目の横あたりにかけて細かいシミがポツポツと、わりと沢山現れていることに気がつきました。
「ほぉー、これがシミってやつね。ふむふむ。急に増えたな。了解。」としばし観察し、反射的にちょっとショックを受ける。でもこのショックに違和感があったのでふと立ち止まってみました。
このショックって、私オリジナルのものなのか?それとも、世間や広告などのあらゆる情報からくる「シミは嫌なもの」という刷り込みから来てないか?
内観した結果、このショックは後者から来てるな、という結論に達しました。
だって、シミってそんなに目の敵にして消したり、ファンデで隠したりしないといけないものなんだろうか?
わたしの勝手なイメージでは、欧米の女性、特にヨーロッパ圏の女性ってそんなに気にしていない気がします。そのまんまの肌で屈託無く笑っていて、それがチャーミングでマチュアな雰囲気を醸し出しているというか。
そりゃ子供や少女にシミはない。でもそれは生きてきた年月がまだ短いからであって、自分のようにある程度の年月を生きた人間が仮にシミひとつなかったら、「え、この人今までずっと日陰で生きてきたわけ?」と逆に寂しい印象を与えるかもしれないし、あるいは動物的に不自然な印象を与えて、見てる側は本能で違和感と怖さを感じるのではないだろうか。
そう思うと我が顔に存在するシミひとつひとつが良いものに思えてきます。というか、良いものと思う方が自分にはしっくりくる。
「これは去年友達と散々ウォーキングした時期にできたやつかな」「これはこないだのフェスで一日中炎天下にいた時のやつかも」「これは何年も前のハワイのやつですか?」と思いを巡らせると、シミって楽しい人生の時間があった証拠なのではないか。
大人になった女にしか出せない、ここまで生きてやっと出せる雰囲気。
物事に良い悪いはないので、消すのはおかしいと言っているのではありません。もしもどうしても気になる位置に大きなシミができたりして、それが精神衛生上良くなかったら、私だって美容医療の力を借りると思う。メンタルが最優先だから。
けど、それほどでもないのなら、これらはなかなか滅ぼすには勿体ない代物だとも思う。
シミは笑顔に成熟さと貫禄を与えるし、生身の人間らしくてセクシーじゃん、と思ったのでした。
梅雨が明けたあとに、梅雨みたいな天気が来ましたね。おはようございます。
今朝はふと体を動かしたくなったので近所を散歩しました。6時。雨降ってるかな〜と思ったけど小雨だったので傘を持たずに決行です。湿度の高い空気の中、持参の水を飲んだり、あくびしたりしながらひたすら歩いているうちに、汗がじんわりと出てきました。
朝の散歩は気持ちいいですね。街中なので自然の少ない環境ですが、昼間と違って、歩いている人は少ないし空気はきれいだしでとても心地よかったです。
部屋に戻ってシャワーで汗を流し、さっぱりしたところで好きな音楽かけながらコーヒーをいれる。これまた爽快。
またやりたくなりました。日が昇るのが早い今なら続けられそうかな。
土曜の朝、調子はどうですか?お仕事の方も、お休みの方もおはようございます。
わたしは朝から余計なことをぐるぐる考えすぎて頭から湯気が出そうになっていました。せっかくいれたコーヒーも気づいた頃にはぬるくなっている始末。人間暇を与えるとよくないですね。
よく、何も考えずにボーッとしようといいますが、何も考えないで過ごすって無茶苦茶むずかしい。
余計な思考を巡らせるくらいなら、好きなもののことを考えようとしても、それをきっかけについ余計な方へ思考は脱線する。本を手に取るも、こんなときは文字がぜんぜん入ってこない。
頭の中で休まず稼働する思考から逃げたい。やっぱり体を動かそうか。この暑さのなか散歩はきつくないか?、、。まだ今なら大丈夫か。
休日がんばるぞ。えいえいおー。
アラフォー派遣社員のわたしですが、今になって、学生のような気持ちで美術への関心や興味を育てたくなり、時々美術館へ行くようになりました。
美術館は一人で行くのが好きです。1つの作品に対する滞在時間が長いし、解説を読むのも遅いし、気になった絵はしつこくしつこく何度も見たいから。
先日、京都国立近代美術館でやっている「没後50年 鏑木清方展」に行ってきました。日本画、美人画、というものに詳しくはないのですが、ずーっとその前で眺めていたくなるような美しさに見惚れてしまいました。美しい線と色彩、表情、和装の美しさに、目が喜びます。
明治・大正の東京、大衆・庶民の目線、画家自身が持つ文学・芝居・歌舞伎への関心。絵の背景には色んな要因があって、特に歌舞伎に関しては、知っているともっと楽しめたのだろうなあと思う作品もしばしば。知識を深めたい欲求がムクムクと湧いてきました。
作品を見ている途中ふと横を見ると、パンフレットの余白にボールペンでものすごいスピードで静かに模写している若い女性が。美大生さんかな。良い時間だな、と思いました。
本物に触れると、目と肌がそれを記憶し、少しずつ自分の栄養になっていく。これからも美術館通いを自分のペースで楽しんでいこう。