diary

日記 雑記

ワイン初期設定

わたしにとってワインは

頂き物や、出てきたものを何気なく口にする程度で

自分からちゃんと味わったことはあまりありませんでした。

 

ブランドのことや味のこと、

産地のことなんかは

未だにぜんぜん興味が湧かず

教えてもらっても覚えられない始末です。

 

でも

ある人との食事をきっかけに

わたしはワインを覚えることができました。

 

覚えた、といっても

知識ではなく、

ワインのある食卓の楽しさを知った

という感じです。 

 

それがわたしにとっての

ワイン初期設定だと思っています。

 

 

その人からは

ワインや食事に対する

好きのエネルギーがばんばん出ていて

その人と一緒に飲むと

ワインに“酔う”のではなく

心地よく“醒めて”いられる、という感じがしました。

 

トポトポ、とグラスに注いでくれる所作は

清潔で豪快でおおらか。

 

日本人が当たり前にお茶を飲むように

ワインだって別に特別なことではない。

気楽に食事に添えられるものであって、楽しんだらいい。

オシャレだとか、マナーだとか、

「わたしは今ワインを飲んでいる」という、なんとなくの意識する感じとか、

そういった

ワインにフォーカスした一種の‘“力み”のようなものは全く必要のないこと。

そんな空気が

その人との時間には流れていました。

 

 

 

(たとえばフランス映画で美しい女優が

ゴブゴブと気取らずにワインを飲むシーンがあったりしますが

それでも品があってどこか愛があって、

それらはその文化圏にとって

当たり前の存在なんだなあと感じさせる

そういうムード。)

 

 

ワインはあくまで脇役でしかなく

メインに語るものではない。

メインはこの場であり

わたしとあなたの会話の時間、という姿勢。

その

食べることに対するセンスが

ラテンな感性を地でいってる人だと思いました。

 

 物事に対する純粋な好きのエネルギーって

すんごい力を持っていて

他人にも伝播するんですね。

 

 

カッコつけるためでもなく

語るためでもなく

そもそもふつうに、

ワインのある食卓を構成する時間と要素

それらぜんぶのことが、

楽しくて仕方がなく、好きなんだというのが

体全体から滲み出ていて

それがこちらに伝わってくる。

 

わたしはそのおかげで

ワインの楽しさを

体感で知ることができました。

 

 

わたしのワイン初期設定が

そういう人から教わった時間によるものだということは

とてもラッキーなことだと思いました。