diary

日記 雑記

喫茶店と神社

良い喫茶店に入ると
内なる自分と対話しやすい。
自分の中心にいられる状態。
なぜか良い喫茶店の近くには

神社があって

神社と喫茶店というのはどこか

似た役割をしていて

相性が良いのではないかと思っている。

 

コーヒーをゆっくり飲んでいると

ふと

未来も過去もない感覚になり

いまここ

にただ在ることができる。

 

つまり

正気に戻る。

 

 

好きを大事に
焦ることなかれ
ゆっくりがカクジツ

 

今日はふとこんな言葉が浮かんだ。


誰だってバランスを崩す時はある。
不完全で
それでもあなたは愛されている。

 

声は魂

声の美しいひとが好きです。

 

身近な人でも、好きだと思う人は大体その人の声も好きだってこと、ありませんか?

 

声ってその人のいろんな要素を感じますよね。

言語化できないものもそこには含まれていて

本能で感じ取っている何かがあると思います。

 

好きなひとの声を聞けば元気になれるし、もっといえば

そこには自分本来の心地いい状態に調律する力がある。

 

日々生活していると、ちょっとずつ内側がずれてしまったり、

何だか知らないうちにずれさせられていく、そんなもどかしさを感じたりってあると思うんです。

そういうときに、あ、本来の心地良い状態はここだった!って思い出させてくれるもののひとつに、

好きなひとの声ってとても大きな力があると思います。

 

因みにわたしの、身近な人以外での

声が素敵だと思っている有名な方は

 

マーマーマガジン編集長、服部みれいさん

映画監督、河瀬直美さん

です。

 

みれいさんは声のメルマガで、河瀬直美さんはラジオ番組を毎週聴いています。

 

 

おふたりの声を聞くと

とても良い気分になれて

わたしがわたしらしさを思い出すのです。

 

ほんとうのことを話す雰囲気

内側に穏やかさと静けさがあって

陽気で軽やかで

聡明で無邪気

そんな要素が総合芸術になって

バーンと

声で感じるから

好きなんです。

 

 

そういうひとを何人か持っておくのも

いいですね。

 

 

でもまあ、

なんといっても一番効果があるのは

身近にいる好きな人たちの

生の声ですよね。

 

LINEで済ませられそうな簡単なことも

電話や、距離が近ければ会って話せば

履歴なんか残らなくても

ずっと尊い豊かな気持ちになれる。

 

 

好きなひとの声が聞ける喜びに

意識的になってみるのも

ちょっと楽しいかもしれません。

 

自分と繋がっていなければ

自分と繋がっていなければ

本当はどんなことを求めているのか

一体何が大事なのか

 

これを自分の手で

掴めた感触が大事で

これがないまんま

 

どんなに人に相談しても

どんなに肯定して背中を押してくれる人や、それは違うよという人がいてそうかなと思っても

 

そのどれを採用したところで

 

自分にとって

スッキリする解にはならないんだと思います。

 

 

自分の声を聞く

 

 

 

心棒をくっきりさせていないと

どんな選択をしても

しっくりこないような気がします。

 

 

わたしは人の意見に影響されやすいので

経験経験で、日々鍛錬です。

自分でこう思う、ということを選択した結果、

失敗したなと思うことはたくさんあるけど

選択って勇気を伴うし

その勇気を出した経験は

小さくても財産になって

積み重なっていくのかなと思います。

 

今日も

下手な文章ですが読んでくださってる方、

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

コントロールを外す、その後

前々回の記事でコントロールを外すことを

試みていると書きました。

 

そしたら昨日さっそく、変化だと思うことが。

 

友人に

 

「なんか雰囲気スッキリしたね。

サッパリしたように見える。」

 

 

と言われました。

 

友人はその時点ではわたしの事情は知りません。

 

 

やっぱり、意識してコントロールをやめることで、体から発してる空気が変わるのかなと思いました。

 

コントロールしないという在り方は、

どこか、重くない、

軽いエネルギーなのでしょうね。

 

引き続きこの在り方を意識してみようと思います。

 

今朝浮かんだこと

都市の素材がハリボテだということ

人間という素材が果てしなく命に則しているということ

そのことがよりくっきりしてきている

今朝仕事に向かって大通りを歩いている途中、ふとそう思いました。

 

(どんな通勤)

コントロールを外す

ここ数日

あたまの上にハテナが出るような、

理解できない出来事が

いくつか続いていて

心の中がざわついていました。

 

 

わたしは分からないということが大嫌いで

状況は知りたいし、できればすべてを把握したい。

 

けどこの心の状態だと

コントロール、支配の磁気を帯びるのですよね

自分本体から。

 

そのこと自体にいい悪いはないとしても、

このコントロールの磁気、自分では発してることに気づきにくい代物だと思います。

 

体臭は自分では気づきにくいのと同じで。

 

不安はしらみつぶしに消し去りたい。

安心したい。そんなタイプだからこそ

 

あっちやこっちを

ああしてこうして

ああしたらこうなるかな

 

こんな思考回路が小さな頃からの癖で

今もそれは健在。

 

 

で、今回

ちょっとくたびれついでに

 

それをちょっと

休ませてみようと

試みています。

 

 

って言ってもなかなか出来ないんですけどね。

 

 

ぼーっとしてみる

どうなろうとほうっておいてみる。

 

ついついシリアスに人生を考えたくなるときこそ

ちょっとアホになってみようかな、と。

夏休みならぬ、秋休み。

 

 

手放すことで

わたしの至近距離の世界の展開も

見えるもの聞こえるものも

変わってくるかもしれませんしね。

 

まあ、いい塩梅になることは今のところ

念頭に置かずに

 

ちょっと頭の端っこの余白みたいなとこで

ぼーっとしてみようと思ったのでした。