diary

日記 雑記

下鴨神社

ふと下鴨神社が頭に浮かんだので

行ってきました。

ここの場のエネルギーはとても良く、

きめ細やかでしっとり、明るくて清涼。

好きな場所です。

 

 

ここにくると、自分の中にある女性性、生命力がケアされ、開く感じがします。

力まなくていい。ここでは一切警戒しなくていい、そう言って貰えてるような、安心安全のエネルギーでした。

 

 

豆乳ヨーグルトと発酵

発酵食品続きですが

豆乳ヨーグルト、食べてます。

豆乳を、発芽玄米にくっついている乳酸菌で発酵させたヨーグルト。

これ、はじめは食べる目的というより

菌の発酵が楽しくて

失敗してもいいや、っていうノリで始めたんですが、

玄米の乳酸菌の力がすごすぎるからか、

けっこうちゃんと出来てくれるので、美味しく食べられています。

 

で、売ってるヨーグルトとちがうところは

延々と発酵し続けるところ。

一定の美味しいポイントで状態が停止している、ということは不自然なんだ、ということが

自分で作ってみて腑に落ちました。

 

ある程度固まってきたところで、

冷蔵庫に入れるのですが、

それでもスローペースながらも発酵しているらしく、日が経つごとに

乳酸菌のいい匂い、ヨーグルトらしい酸っぱ爽やかな香りが強くなっていて、嬉しくなります。

 

体にも良いし、目には見えないけれど確実にある菌の世界も感じられて、楽しい。

ユルく続いています。

 

いまは気温が高くて始めやすいですし、

遊び感覚で自然を感じるツールのひとつとして、オススメです。

お味噌汁

誰に褒められなくても

誰に見られることがなくても

楽しくて続けてしまうこと。

労力が全然苦にならないこと。

わたしにとってのそれは、お味噌汁を作ることです。

毎日、具沢山お味噌汁を作って食べる。

これを飽きもせず繰り返しています。

具はその時冷蔵庫にあるもので、組み合わせもなんとなくで適当。

とにかく具をモリモリに入れて、おかずを兼ねたお汁物、という感じにしています。

ご飯と一緒に食べてるときの満足感ったら、半端ないのです。

味噌の包容力ってすごいですね。

本当に大概の食材を受け入れてくれますね。

味噌汁はクリエイティブだと思います。

 

花が好きです。

束ねたり、飾ったり、眺めたり

触ったり、香りを嗅いだり、声をかけたり。

花を愛でる人のしぐさも好きです。

 

 

花は命そのもの

只々今に生きていて

蕾が開くところから枯れるところまで

命のサイクル、リズムを見せてくれます。

 

 

可憐だなと思えば

豪快だったり

強かったり弱かったり。

 

 

そうやって花と過ごすサイクルを楽しんでいるうちに、

野生の感性を養って貰っている

そんな気がします。

 

只々陽気に、気負わずに

花と関わっていくことが

心にも、体にも、栄養になると思います。

 

 

今は芍薬を飾っています。

 

芍薬は香りがよく、咲くと豪華で

最後は花びらがドサッ、ドササッと落ちる、

散り際の迫力にはドキッとさせられます。

 

大好きな花のうちのひとつです。

 

 

ゆるむの体感

朝ぼーっとしていたらこんな言葉が浮かんできました。

 

 

「そもそも許されているのだから、何をやってもいい

すべて自然

思うことも自然」

 

つまり

内側からの湧き起こりは全て

肯定に値するものだと。

 

 

 

このとき突然、豪快な安堵に包まれ

体がゆるんでいくのを体感しました。

 

 

足の先まで血管がふわっと開き

お腹の緊張がスーッとほどけるような感覚。

 

イメージでいうと

陽だまりのなか
真っ白なシーツが敷かれたベッドの上で

まどろむような安心感でした。

 

 

気になることがあっても大丈夫。

 

そのことを考えない
解決しようとしない
ということに集中する。

 

明日なんてない
今だけ
味わえるのはこのモーメントのみ。

 

今だけの

生命の音に自覚的になる

 

 

許し

今に生きる

 

この感覚は

瞑想とかをしていたわけではなく

何のきっかけもなく突然訪れたので

びっくりしながらも

どこか「あーやっと知れた」という嬉しさもあり。

 

 

こういうのを

気づき

というのかもな、と思いました。

 

気づいたら

それは知ったということ。

また日常に埋没して忘れても、

知ったら知らなかった頃にはもう戻れない。

またこの位置に帰ってこれると思う。

 

 

 

ほんとにみんな、誰一人として漏れることなく

 

みんな許されていて(何かに。もしくは自分に)

大丈夫なんだと。

だから好きなようにしていい、

行動にできなくてもいい、思いたいように思うだけでもオッケーなんだと。

 

自分の内側からくる湧き起こり

この自然現象の自由だけは

ほんとに守ろうと

 

朝から熱が入ったのでした。

 

 

 

 

 

 

節目に起こること

街中で偶然友人に遭遇するとき、

 

そして更に、お互いにたまたま時間があって、少し話をすることができるとき

 

だいたい相手は

 

今のわたしに必要な言葉をわたしに話し出します。

 

 今日もそういうことがありました。

それはもう

見事に的確な、わたしへのアドバイスでした。

 

友人はもちろん、

今のわたしに起きていることなど何も知りません。

 

こういうとき

何か大きなものの采配を感じずにはいられません。

 

がんばろう。

 

 

 

 

 

変化は愛

生きていれば、変化があります。

変化は、新しい景色を見せてくれます。

いま、たとえ

何一つ動いていない、動く兆しもない、

と感じる景色が目の前で繰り広げられているとしても、必ず何かは変化している。

 

変化は、それがどんな景色でも、愛です。

 

 

昼間は様々な外からの刺激があって、

とてもそうは思えないときがあるとしても

 

夜、お風呂に入ってるときなどに

生きてるだけで愛の中にいる

と、ふと確認できたら

 

 

その時間は

 

あなただけの(わたしだけの)

財産です。

 

 

 

思いつくままに書きました。