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自分を生きる

主に直感日記。日々の暮らしの中の美しいことや楽しいこと。

花が好きです。

束ねたり、飾ったり、眺めたり

触ったり、香りを嗅いだり、声をかけたり。

花を愛でる人のしぐさも好きです。

 

 

花は命そのもの

只々今に生きていて

蕾が開くところから枯れるところまで

命のサイクル、リズムを見せてくれます。

 

 

可憐だなと思えば

豪快だったり

強かったり弱かったり。

 

 

そうやって花と過ごすサイクルを楽しんでいるうちに、

野生の感性を養って貰っている

そんな気がします。

 

只々陽気に、気負わずに

花と関わっていくことが

心にも、体にも、栄養になると思います。

 

 

今は芍薬を飾っています。

 

芍薬は香りがよく、咲くと豪華で

最後は花びらがドサッ、ドササッと落ちる、

散り際の潔さにはハッとさせられます。

 

大好きな花のうちのひとつです。

 

 

ゆるむの体感

朝ぼーっとしていたらこんな言葉が浮かんできました。

 

 

そもそも許されているのだから、何をやってもいい

すべて自然

思うことも自然」

 

つまり

内側からの湧き起こりは全て

肯定に値するものだと。

 

 

 

このとき突然、豪快な安堵に包まれ

体がゆるんでいくのを体感しました。

 

 

足の先まで血管がふわっと開き

お腹の緊張がスーッとほどけるような感覚。

 

イメージでいうと

陽だまりのなか
真っ白なシーツが敷かれたベッドの上で

まどろむような安心感でした。

 

 

気になることがあっても大丈夫。

 

そのことを考えない
解決しようとしない
ということに集中する。

 

明日なんてない
今だけ
味わえるのはこのモーメントのみ。

 

今だけの

生命の音に自覚的になる

 

 

許し

今に生きる

 

この感覚は

瞑想とかをしていたわけではなく

何のきっかけもなく突然訪れたので

びっくりしながらも

どこか「あーやっと知れた」という嬉しさもあり。

 

 

こういうのを

気づき

というのかもな、と思いました。

 

気づいたら

それは知ったということ。

また日常に埋没して忘れても、

知ったら知らない前にはもう戻れない。

またこの位置に帰ってこれると思う。

 

 

 

ほんとにみんな、誰一人として漏れることなく

 

みんな許されていて(何かに。もしくは自分に)

大丈夫なんだと。

だから好きなようにしていい。

行動にできなくても、思いたいように思うだけでもオッケーなんだと。

 

自分の内側からくる湧き起こり

この自然現象の自由だけは

ほんとに守ろうと

 

朝から熱が入ったのでした。

 

 

 

 

 

 

節目に起こること

街中で偶然友人に遭遇するとき、

 

そして更に、お互いにたまたま時間があって、少し話をすることができるとき

 

だいたい相手は

 

今のわたしに必要な言葉をわたしに話し出します。

 

 今日もそういうことがありました。

それはもう

見事に的確な、わたしへのアドバイスでした。

 

友人はもちろん、

今のわたしに起きていることなど何も知りません。

 

こういうとき

何か大きなものの采配を感じずにはいられません。

 

がんばろう。

 

 

 

 

 

変化は愛

生きていれば、変化があります。

変化は、新しい景色を見せてくれます。

いま、たとえ

何一つ動いていない、動く兆しもない、

と感じる景色が目の前で繰り広げられているとしても、必ず何かは変化している。

 

変化は、それがどんな景色でも、愛です。

 

 

昼間は様々な外からの刺激があって、

とてもそうは思えないときがあるとしても

 

夜、お風呂に入ってるときなどに

生きてるだけで愛の中にいる

と、ふと確認できたら

 

 

その時間は

 

あなただけの(わたしだけの)

財産です。

 

 

 

思いつくままに書きました。 

 

わたしはわたしのことを

良い詩に出会いました。

 

ゲシュタルトの祈り


私は私のことをします
あなたはあなたのことをしてください

私が生きているのは
あなたの期待に応えるためではありません

あなたもまた、私の期待に応えるために
生きているのではありません

あなたはあなた、私は私

もし、私たちの心が通じ合わなくても
それは仕方のないことです

そして、私たちの心が
たまたま触れ合うことがあれば
それは最高に素晴らしいことです

 

I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by chance we find each other, it's beautiful.
If not, it can't be helped.

 

byフレデリック パールズ

 

フレデリック パールズは、ゲシュタルト療法という心理療法を創始した、ドイツの精神科医だそうです。

 

詳しいことはわかりませんが、

色々検索していてこの言葉に出会ったのも何かのご縁。

 

人と関わっていくときに

自立したあり方について、

そのヒントになる

わかりやすい表現だとおもいました。

 

こうあれたらいいなという意味も含めて

ここにメモ的に書いておこうとおもいます。

 

体の向く方に従ってみれば

今朝は

目覚めからわりと力が余っていたので

 

いつもの出勤時間より早くに外に出たくなりました。

 

最近は寝ても寝ても眠い日が続いていたので

珍しいな、と思いつつ。

 

そして

最近なんとなく気が乗らなくて行っていなかった、

通勤途中にある、ある決まったスタバに

これまたなんとなく行きたくなり、寄りました。

 

そしたら、

いつもよくしてくれている仲良しの店員さんに

久しぶりに会うことができました。

 

彼女は大学生で就活中のため、


最近はそんなにバイトを入れていないことは

知っていたので、

 

この

狙ったわけでもないのに

会えるタイミングの良さに朝からニンマリでした。

 

そして

 

やっぱりそうか

 

と思いました。

 

 

体のセンサー

つまり直感には、
その時点での想定を超えた
理由がある。

 

 

今日はそれが言いたかったのです。

 

そして、我ながら良いセンサーしてるな、と思いました。

 

 

体は知っている、ということを

疑り深いわたしでも

確信に至るに充分な

そんな流れ、出来事でした。

 

出来事そのものはシンプルなラッキーであっても

そこに

嬉しい!

があったのが

わたしと、体のセンサーの

一対一の関係が深まった瞬間でした。

 

  

朝から

気持ちが上がる人の顔が見られて

おしゃべりできることの

豊かさといったら、ないですね。

 

 

しかもチョコくれて、

それ、気になってたやつ。

 

 

今日のdelightでした。

 

 

自分のdelight収集

自分のdelight(=喜び)に

素直に
素直に。

それは人生の景色となる。

 

わたしのdelightはなに?

 

思考が過去や未来彼方に行ったら

この質問を繰り返しています。

 

自分の中心に戻してくれます。

 

 

 

delightという言葉には

なにか

喜び、という意味以上に

満足というか

納得というか

静かで確かな快、

文句なし

そういう感覚を連想させるような気がして、

最近気に入って使っています。

 

 

 

正しい解釈ではないのかもしれないけど

その状態にアクセスする装置として

いま、とても有効です。

 

 

そして

めちゃくちゃ個人的な

delightなモーメントを

日々

拾って

そうなんだねと確認して

そこに力を与えていく。

それが楽しい。

 

珈琲タイムとか

窓の自然光のはいり具合がいい

とか

 

そういう

日常の些細なシーンから

 

ひとに嬉しい言葉を言われた、とか

ダイナミックに心が動くことまで。

 

地に足つけながら

甘美なことにハイであれ。

 

 

そんなことを考えています。